10/6 竹氏兄さんに会いました。
いつしか暑い夏も終わりすっかり秋が深まってきました。
それにしても今年は暑かった。あまり暑くて股間におできが出来(変な話で申し訳ありません)其れがシコリになり病院に行ったら、受付の看護婦さんに笑顔で「癌ですね!!」と言われ、暫く人生を考えさせられたほど暑かったです。
夏場はアマダイの季節です。いつも脂の乗ったアマダイを沢山焼きますが今年は不作でいつもの年の3分の1もありません。亡くなった丸尾先生が大好きだったアマダイですが、今年は先生が亡くなったのを悲しむように姿を見せてくれませんでした。
そうそう、変と言えば庭の木蓮が咲きました。蟹のシーズンが終わると待っていたように春を告げてくれる我が家の木蓮が大きな葉っぱの中で五輪ほど真っ白な花をつけました。あまり暑かったので今年の剪定は例年より強くバッサリ行いました。その強剪定で春と間違えて花を咲かせたのか?毎年咲いていたけど、葉っぱがすごくて分からなかったのか?
どちらにせよ不思議な夏でした。

先日、京都に長女と二人で日帰りで出かけました。来春早々に10ヶ月の留学のためビザ申請の検査をする為でした。帰りに何か美味しいものをとの約束でしたので、駅前でと思いましたが夕方の5時ではどこもやってなく、修行時代にお世話になった竹氏さんがお店を出したこと思い出し、すぐに予約。
竹氏さんのことは前にも書きましたが日本の調理師会でも重鎮でとても偉い人で京都に「月波楼 いさく」「十駕 おおしま」と二つのお店を持つ兄さんです。初めに開いたお店「月波楼 いさく」さんは一杯で、昨年開いたお店「十駕 おおしま」は運良く予約が取れました。まぁ〜どちらにしても偉いさんだから、食事を終えたら名刺を置いて帰ろうとタクシーでいざ両替町へ

町屋を改造したこじんまりしたお店の暖簾をくぐると、カウンターが
「いらっいませ〜〜〜〜」
なな、なんとスキンヘッドの竹氏の兄さんが立っているでは在りませんか
「お世話になります・・・・・・・・。お久しぶりです」
僕は直立不動で立ち尽くしました。
まさか、カウンターで包丁を握っているとは思いませんでした。
きっと、調理師会の副会長さんにもなれば仕事は、献立を書くだけで表には若い衆が立っているものと思っていました。
「京都駅から来る大森・・・・・。もしかしたら!と、自分の顔がよぎったんたで」
とても忙しくされる中、そんことは構わず僕はドッカリとカウンターに座り、娘のことも忘れて料理に舌鼓を打ち、話に花を咲かせました。
京都ならではの素材も交えながら、盛り付けの演出や、薄味の中にもしっかりとした主張があったり
久しぶりに楽しい時を過ごさせていただきました。

ふと気がつくと、お客様のお帰りの時には必ず玄関先まで出て、両手を突いて
「おおきに!有難うございました」と
深々と頭を下げます。我々が帰るときも同じくです、其れにも増して忙しいのにもかかわらずタクシーまでお見送りいただき、またまた、深々と頭を下げられます。

僕はこれまで、いくつものお店を訪れました。もちろんその中には知り合いも、後輩も、お世話になった方もありました。だけど、「大森、本当に有難うなぁ〜」と形で表して下さった人は、兄さん始めてでした。

竹氏の兄さん「料理に対する思いやり」 「お客様への感謝」
今回改めて勉強させていただきました。

有難うございました


6/4 家族愛
5月の初め憧れの川奈ホテルゴルフコースへ行ってきました。時期的にUPが遅くなったのですが・・・・・。(!^^)
リピーターのお客様が毎年5月の連休と夏休みに家族で川奈で過ごされることお聞きしておりました。今年お見えになったとき思い切ってご一緒させて頂きたくお願いしましたところ、快諾されお部屋まで取って頂きました。

1泊2日2、5ラウンド全て富士コース回らせていただきました。
ジャンボがチップインした、小達が4パットして選手生命を絶ったショートコース、アーメンコーナーのロングホール、全てプロと同じくフルバックで回ってきました。それに宿泊したお部屋はエリチン橋本会談のときエリチン大統領が泊まったスイートルームの前の豪華なお部屋で夕食はイベリコ豚やらシャリアピンステーキ、スッポンのスープ等ご馳走で、ゆったりしたとても贅沢な時間を過ごすことが出来ました。

驚き勉強になったことがいくつかありました。
まずは、初日海が時化ていたのにヨットが沢山出ていて危ないなぁ〜と思っていたら、ヘリコプターが飛んできました。海難事故だなぁ〜と思って次の日キャディーに「昨日の事故どうだった?」と聞いたら「あのヘリコプターはお客さんを乗せてきたのです」「よくあることで千葉から1時間もかからずにこれるので便利ですよ」「客さんも福井からどうですか?」「ウソ〜!?!?!?!」ヘリコプターに乗ってお客がくるんだ〜
次の日の1.5ラウンドは朝一番のスタートでした。ちょうど外国からカメラマンが来ていて小生の1番ホールのショットをパチリパチリ。するとキャディーさんが流暢な英語でお話をします。「キャディさん凄いね英語喋れるんだ」「此処は世界のゴルフ場100選に選ばれていて海外からのお客様やトーナメントプロが来るので日常の挨拶やコースレイアウトぐらいは皆喋れます」「ウソ〜!?!?!?!」キャディーさん英語喋るんだー
川奈ホテルは国定公園の岬にポツンとあるホテルです。改装も改築もしていない昔ながらのつくりです。階段の手摺やロビーの椅子、バスタブや洗面台の蛇口にいたるまで古いままです。ただ、その古いのがいい・・・・!。人の手垢やいつも丁寧に掃除した人のぬくもりがあります。接客業は集客のため新築がよく、5・6年に1度は改装を余儀なくされます。新築は清掃と伝統に勝ることはない!
今回の旅行はご夫婦と10歳の男の子のご家族の○○先生のご家族とご一緒させて頂きました。先生は毎年川奈で10ラウンドはします。相模原のメンバーでもありますがご家族とこの川奈でラウンドされることをとても楽しみにされています。小生と先生はフルバック、奥さん10歳の子供さんは白マーク、4人で歩きのラウンドでも4時間で回ってきます。先生曰く「競技会には出なくなりました、家族とゴルフが出来、美味しい物を家族と分かち合うことが何よりの幸せです」「川喜さんへも接待なら行きません。一人で美味しい物を食べてもおいしく感じません。愛する妻や子供と一緒に喜びながら食べるから美味しいんです」2日間とても贅沢な時間をすごすことが出来ました。先生の言葉を聞いて朝一番に上さんに「ありがとうのメール」を送りました。いつも単独行動をしていた自分を恥じました。これからは心を入れ替えて家族を愛すぞ====

上さんから返信はありませんでしたm(! _ !)m


川奈ホテル クラブハウスへの連絡通路


18番ホールからの眺めと1番ホールでご満悦な小生


3/27 カニ漁を終えて
初めがあれば終わりがあります。今年も3/20でカニ漁が終了しました。記録的な夏の猛暑の時期にかに解禁の用意を始めてから、今年はいろんなことがありました。暖冬の影響か?カニ解禁時には例年より海水温が高く、例年より良いカニがあがらず、奮闘した前半。ようやく良い物があがり出したのに出荷調整をして漁を休む日が多かった、中盤。2月、3月は例年に無く海が荒れた終盤。個人的にははじめて乗った救急車の前半、大切な人を亡くした中盤。子供に振り回された終盤。いろんなことがありました。

そのなかで、やはり救いだったのはお客様の笑顔と、カニに出会えたお喜びのお言葉でした。

私はなんて幸せなんだろうと思います。
お客様から幸せを頂いて、なおかつ御代も頂戴するのですから・・・。

先日こんなお手紙を頂戴しました。

毎年素晴らしいシーズンオープンのご案内を頂きながら、お伺いする機会も無く勝手をしております○○と申します。・・・・・・・・・・・・さて、今般私がそちら様に「何だそんな事か」と思われそうで躊躇しながらも手紙を書こうと思いましたのは、文庫本にてお宅様の名前を見て嬉しくなった勢いでのことありました。

  火坂雅志「骨董屋征次郎京暦」講談社文庫(P95〜100) 
  主人公が息抜きに三国に出かけたくだりです・・・・・・・・・。

とても嬉しいお手紙でした。
○○さんは10年前ご贔屓のお客様のご紹介で一度お見えになったお方でした。その折お名刺を頂戴して、以来かに解禁のご案内状をお出ししておりました。

毎年毎年お見えになるお客様も居りますし、お電話を頂くお方も多く居ります。ただ、そのようなお方の何倍ものお客様が、当店の味を、思い出を胸にされ、カニの時期になったり当店の名前を目にされた時、味も思い出も蘇って来られる事とても感動しました。

○○様有難うございます。

そして、何よりも火坂先生感謝申しあげます。


2008/1/17 永遠の愛・・・・。
僕の大切な人が1月14日午後7時過ぎに亡くなりました。今年で56歳になられました。とても早いお別れでした。
7年前に旦那様をなくされました。その方は日記にも書きましたが当店のカニがとても好きな県外からこられた先生でした。当店のカニを食べれるように近くに開業され、当店のカニが食べられるよう頑張られた先生でした。当方も先生の目標にされて恥かしくない店にしようと頑張りました。しかし、癌に蝕まれ、入院されてから半年で黄泉の国にいかれました。その半年後、奥様にも癌が見つかりました。ステージ3でした。長い闘病の中でも旦那様のお友達や恩師、後輩やクリニックの方々にも気を配られ、物腰が柔らかく、いつもいつもやさしさで周りの皆を癒しれておられました。
僕にとっては無くなった姉と変わらない年で悩みを聞いてもらったり、やさしさをいつもいただき、先生の傍にいると何故かホッとしておりました。

11月の解禁時にいつも無くなった旦那様にカニをお供えに行っておりました。今年も寄せていただいたとき、辛そうにされていましたがいつものようにあがりこんでお話をしておりました。11月の中頃、先生が呼吸困難で入院したと聞きました。毎年、お歳暮のご注文をお聞きしていましたので、今年は退院してからにと思ってお見舞いに行きましたら、病棟が「ホスピス」と聞き、吃驚しました。
去年のリストを見ている姿は元気そうでした。
「先生、荷物を出すと皆から病室にどんどん電話がかかりますよ!
それでもいいんですか?」と聞くと
「いいんです」と一言、この人はこれで、この人にはこんな熨斗にして欲しい
此処にはこの日に、この家は人数が多いからこれとこれ・・・。
実に目がきらきら光っていました。
1回目の荷物を送ったとき
「川喜さん皆から電話があるの!とってもうれしかったわ!」
「○○さんが川喜さんが送った干物を焼いて持ってきてくれてとっても美味しかったわ」
「○○さんの焼いて持って来てくれた気持ちがとっても嬉しかった!」
と、とても嬉しそうでした。
当店の贈り物が先生と先様を繋ぐ糸になっていること、とても光栄に思いました。お礼の電話がかかることが先生の幸せならどんどん送ろう・・・・!今年はいつにもまして頑張って荷造りをしました。
昨日のお別れ会で
「川喜さんの送って頂いた荷物のお礼を言ったのが先生との最後でした。本当にありがとうございました」と言われました。

こちらこそありがとうございました。

亡くなった旦那様と奥様は京都府立医科大の同級生、それもテニス部の同僚でした。旦那様が一目惚れで大学時代から一緒に暮らし、一緒に卒業し、結婚し、同じ大学病院に勤め、奥様は旦那様が大好きで、かけがいの無い人でした。
臨終のときビデオに

「皆ありがとう、本当に本当にありがとう」

「とても幸せな人生でした」

「ありがとう・・・・ありがとう・・・・ありがとう・・・・・。」

「さようなら・・・。ありがとう・・・・。さようなら・・・・。」

「これから、パパのところに行きます・・・・・。」

「ありがとう・・・・。さようなら・・・・。いってきまーーーす。」

先生ありがとうございます。そしていってらっしゃい。
そして、旦那様と7年ぶりの再会を楽しんで二人で楽しい時を過ごしてください。
お二人の深い深い愛を感じてお見送りします。

行ってらっしゃい・・・・お幸せに・・・・・・。